移民手続き開始と新居購入
地球人が「旅好きな兄貴」に変身したころ、我が家では、新しい、そして、重大なミッションのスタートが切られた。それはカナダへの、家族移民の遂行だった。どんなに早くても、手続きには約一年半はかかる。(今は更に長いと聞いたが、案件による)地球人が大学を終える前に、移民の手続きを終え、家族でモントリオール郊外に拠点を移す計画だったのだ。
最大の理由は、学生ビザで大学に居ると、切り替え時期には、又、書類を整え、ビザが下りるまで時間がかかり、万一ドジを踏むと、一度、外国へ出なければ成らない。この頃には、良い大学に入るのは、カナダもかなり狭き門で、大学院に至っては、もっと面倒だということがわかっていた。普通の学科はわからないが、当時ケベックには、科学研究が優れた大学は4校しかなく、順調に進めるかどうかわからない。
我々も、いずれはカナダへ移民を、と思っていたので、それなら、この辺りで、地球人を枝葉末節な問題に煩わされることなく、勉強に専念させるべき、正念場の時ではないか、と思ったからだ。学費も学生ビザの留学生と、現地の学生とは、倍ぐらい違う。勿論、移民ビザがおりれば、かなり学費負担も軽くなるのだ。
前にも述べたとおり、何事もやってみなきゃわからない。そこで、早めに、投資移民の申請書をだした。すでに歳がかなり行っていた我々にとって、一番簡単な永久居留権の取得方法は、投資移民だった。これは、5年間、すずめの涙ほどの利子で、カナダの銀行に一定額を預金し、使わせるかわりに、カナダ政府から居留権を貰うというもの。
5年経つと元金は全て戻ってくるので、日本のように、利子の少ないところなら、いっそ、カナダに置いて、居留権をとってみるのも面白いかも、、、、。ただし、居留権をとっても、カナダ国籍をとるまでは、最低、年半分はカナダに居留することが、義務付けられるので、その点は要注意。
ちなみに、知人の中には、お父さんは上陸後、仕事の関係でどうしてもカナダに長期滞在することができなくなり、この規定に違反。しかし、お母さんと子供は居留権を剥奪されず、お父さんからの仕送りで居留継続。そして後に、人権保護により、夫婦親子の同居権を理由に、再申請して、お父さんの居留権も復活した人の前例もきいた。
しかし、我々にとっては、かなり前から、すでに予定のルーティン。移民の申請が受理されると同時に、投資資金の確保の為、前に述べた郊外型の家を手放し、準備万端整えて、ビザの下りるのを待っていた。この移民の手続には、間に移民専門の弁護士が入っており、ほぼ確実に、移民許可が下りると聞いていたからだ。許可が下りれば、正式に家族一緒に永久居留ビザで上陸し、政府指定の銀行に投資額を貸付、移民へのすべての必要な手続きは完了する予定。
そこで、地球人が大学2年を終えた7月、私は地球人に、「モントリオールの近郊に家を買うから、推薦できる物件を用意するよう!! 家を内覧できる日程は2日のみ!!だから、不動産屋と交渉して、準備しておいて!!」と伝えた。そして、早速、又、遥遥とモントリオールへ向かった。
この頃までには、地球人の口座に、毎年、かなりの額を振り込んでおり、家を購入するには、ほぼ十分な金額がすでにカナダの口座に置いてあり、私と地球人の小切手で切れる。私は、家を買うことに迷いはなかった。「だめなら売りゃいいじゃん!!」と又、肝っ玉母さん譲りのノーテンキ病だ。
不動産屋(北米で知名度の高い、一流の不動産屋で安心)が私の内覧の為に準備した家は32軒。モントリオールのすぐ側と、ちょっと離れた郊外と二箇所。まず最初のモントリオールのすぐ側の家を内覧し始めた。多分ここでは、17軒ぐらい見た。一目外観を見て、「次、お願いします!!」と言ったところも多かった。そして、結果的には、一軒も私の理想にはあわなかった。
少し離れた、2箇所目の場所に移った。人間が何かを決める時なんて、ほんの少しの偶然が左右することが多い。私は、高速道路の両側を眺めながら、目的地に向かった。段々、緑と山々の景色が多くなり、高速道路から町に入った。
その時、川に架かった小さな橋の欄干に、実に綺麗な花かごが飾られ、ライトの上にもフラワーバスケット。色とりどりの花々の中に、いきなり、白馬や、綺麗な馬に跨った一団が、格好いい真っ赤な制服とキャスク、乗馬ブーツで颯爽と行進してゆく姿が、目に飛び込んできた。
「何あれ??」ときくと、「ここは1976年、モントリオールオリンピックの時、乗馬会場として使われた町で、あの一団は、この町で一番大きな乗馬クラブのメンバーですよ!!時々、犬を連れて狐狩りにも行き、そのコースがこの川沿いにあります。」という説明。
正面に、当時21コース(今はもっと多い)のスキーゲレンデを持つ山の緑。溢れる様な鮮やかな彩りの花々。そして、その大自然の緑の中を行進する、綺麗な馬の軍団。秋には紅葉も美しく、今では日本の、大手旅行社のツアー宿泊地にも指定されている美しい町。快晴の綺麗な青空の中で、偶然、この光景を見た私は、すぐ、「気に入った、ママ、ここに家を買う!!」と宣言した。
ここでは、15軒ぐらい見た。決めたのは最後の一軒だった。それも家の中というより、そこから眺める大自然の光景が気に入ったからだ。すると、不動産屋が、意外なことを言い始めた。「ここが好きなのは景色がいいからですか??それなら、隣の家の方が、もっといいですよ。この前、一緒にゴルフをしたとき、隣の主人が、近々家を売りたいと言っていたから、明日の朝、もう一度きて、見せてもらったらどうですか??この家より、かなり新しくて、中もキチンと作っていますから、、、。」という話。ひとまずこの日は引き上げて、明日、最終決定をすることにした。
次の日の朝、不動産屋が勧める隣の家を見た。確かに景色は、隣の家より素晴らしかった。間取りも、スクリーン状のドアで、色々と変えられる仕組み。部屋を大きくも小さくも使える、私が好きなタイプだった。そこで、私はすぐ交渉に入った。とりあえず暫くは、のんびり家具などもそろえていられず、じょじょに好きなものに替えて行く予定だったので、全て家具つきの、居抜きの値段で、交渉してもらった。実に内覧、33軒目の家だった。
それが高かったのか、安かったのかは、未だにわからない。地球人に、「どうして、この場所を選んだの??」と訊いたら、「高校の時、ここのスキー場にきたことがあるし、色々な人に訊いたら、ゴルフ場も多く、ここはリタイアした人たちに、夢の町と呼ばれているところらしいから、いいんじゃない??」ということだった。しかし、冬は、スキー、スノーボード、スケート、ホッケー、アイスフィッシング、スノーモービル、ノルディックスキーなどが楽しめるここは、多分、地球人の趣味にも、ぴったりだったのかも、、、、。
ともかく、家の裏庭は、PGAツアーの指定ゴルフ場の10番ホールに繋がっていて、10分以内にゴルフ場が6つ。前の山は、ワールドカップのマウンテンバイクと、アルペンスキーのコースが20数本。乗馬場は、付近に10箇所以上。大人用の乗馬学校も多数ある。湖では、モーターボート、ヨット、カヤック、水泳、釣りなどを楽しむ人々で夏は一杯。
アメリカからキャンピングカーを引いて、付近に点在するキャンプ場に入ってくる観光客も多い。夏は子供達には、楽しいキャンプライフ。乗馬教室はもとより、ミニゴルフ場、全長125キロのサイクリングコースとローラーブレードコース、マウンテンバイクとフリーマーケット内のサーカス小屋。
山の傾斜を利用した、スキー場の一角には子供遊園地があり、夏は、プールやジャンプ場。タイヤスライディングコースなど、雄大な景色を楽しみながらの水遊び。山の中でのバギー遊びやハイキング、マウンテンバイクコース。
平地では、大きな競輪場のような自転車の競技場もあり、湖遊びも含めれば、子供用にもまだまだ大きな施設が一杯。スポーツ好きには至れり尽くせりの感がある。やっぱり、ここは、老人がただ景色を眺めているより、若者が思いっきり、スポーツを楽しむところだ。
そして、毎年地元の小学生は、学校の学習強化スポーツリストの中から、自分で好きなものを選び、好きなスポーツに挑戦できる。だから、勿論、スキー、スケート、ホッケー、乗馬、ゴルフ、サッカー、などなど、体育の授業として、楽しみながら訓練してもらい、多才な、スポーツ好きの青年が多く出来上がるわけだ。
地元からは、色々な分野のオリンピック選手も出ており、町ぐるみでスポーツ好き。冬は立派な室内サッカー場も付近に持っている、この地元の小学生チームが、今年(2008年度)のケベック優勝チームとなったとか、、、、。とにかく、小学校から多くのスポーツに、勉強に、とバランスよく、強化する。
カナダ生まれで、すでに移民している姪の息子は、11歳で、2008年9月からの小学校のスポーツは、乗馬とゴルフを選んだそうだ。その外に、町の小学生代表で、今年はサッカーチームに所属。アイスホッケーや空手もやり、勉強以外にも活動が多く、姪夫婦も忙しくて大変そうだ。しかし、小学生のスポーツ強化科目に乗馬とゴルフというのは、本当にこの地元の利を生かした豪華版。「めったにできないよね!!」と姪は大喜び。
ちなみに、我が家の移民手続きの場合は、地球人が中学から長くケベックに滞在し、フランス語も問題なく、家や生活費の準備も整っていたせいか、普通、必ずあると言われている、最終面接は免除され、直接上陸許可証が弁護士の元に送られてきた。
今はよく分からないが、居留ビザ発給の為の最終面接は、当時、この辺ではアメリカのバッファローか、運が良い場合はモントリオールの移民局で行われていた。アジアでは最近、フィリピンなどで行われるケースも多いそうだ。友人達、兄夫婦、姪夫婦も全員、最終面接に参加した。その後、上陸許可証送付までには、約2ヶ月ぐらいかかるのが普通である。
ともあれ、こうして、移民許可がまもなく下りるという時に、モントリオール郊外の、風光明媚な田舎町に我が家を購入したのは、1995年の、夏の暑い日のことだった。綺麗な花々と、雄大な自然にかこまれた新居への、正式な拠点変更プランは、いよいよ最終章を迎え、後は一番頭の痛い、国際引越し荷物の整理発送を迎えるばかりとなっていった。地球人の引越しも、その後を含め、香港から台湾、リゴー(モントリオール郊外、地球人の中学高校の所在地)、オタワ、モントリオール、ブロモント(自宅、モントリオール郊外)、ケベックシティ、横浜、東京と、ますます範囲を拡大していった。
Labels: 4。大学時代(含、秘話)


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