Sunday, January 4, 2009

御弁当屋開業と趣味のお付き合い

ケベック市の郊外の病院で研究生活を始めた地球人は、3週間に一度、週末に戻ってくるようになった。さすがに、250キロ離れた大学病院から、毎週末に家に戻るのは、きつかったのだろう。3週間目の金曜日に家に戻り、日曜日の午後、病院に戻る日日が始まった。

その頃の私は、正に正に「御弁当屋開業!!」だった。地球人は大学内の寮に入ったが、寮や病院だけの食事では物足りず、毎回、3週間分のお弁当を寮に持ち帰っていた。

私は大きなキャンプ用のアイスボックス二つに3週間分のランチボックス(1日二食)を入れ、その外に果物やスープなども準備し、毎回、地球人が寮に戻る日は、忙しくしていた。

これらのお弁当は地球人が帰って来てから準備するのでは時間的に間に合わないので、3週間分のランチボックスを2セット準備し、一部は冷凍保存して置き、持ち帰ってきた空のお弁当箱は、次の帰宅用に使った。

つまり6週間分のランチボックスが行ったり来たりしていたのだ。従って、我が家は家族3人なのに、大型冷凍庫ふたつ、大型冷蔵庫みっつがフル稼働していた。

すでに私が出来ることはこの程度のことで、あとは、説明を聞いてもチンプンカンプンの専門領域の研究。当時はただただ地球人の健康管理のみ考えていた。

その頃、すでにドラムに大いにのめり込んでいた地球人は、大学院に入っても、すぐ音楽仲間を探し出して、バンドを組んでは時折コンサートを開いていた。コンサート開催のたびによくケベックシティのコンサート会場にもでかけ、応援していた。

地球人はその頃、狭い寮の部屋ではサイレントドラムで練習し、家に戻ると、新に購入したドラムセットで、思いっきり楽しんでいた。その大音響は、震度3ぐらいの音の激震をもたらし、たびたび我が家の人々はその揺れの中にいた。

この頃には、すでに弟のドラムセットは隣の家に運ばれ、自分は更に専門的なものを探し出し、多くのシンバルやラテンの楽器も取り付け、まさに音楽活動にのめり込んでいた。学校内のお祭りには、メンバーと一緒に積極的に参加し、日頃の成果を披露し、学内新聞にも取り上げられるようになっていった。

毎年一度のプロ中のプロの音楽の祭典、「モントリオールドラムフェスティバル」や、「モントリオールジャズフェスティバル」には、必ず出かけて行き、私もよく一緒に通った。名前も覚えきれない数々のドラムの名手や、素晴らしいドラムセットを初めて紹介されたのも、この頃だ。

中学高校から大学時代のアイスホッケー熱の時には、地球人は勿論、地元のプロホッケーチームのモントリオールカナディアンズを応援し、度々本拠地アリーナに出かけ、当時の名手、憧れのゴールキーパー、パトリックロワの素晴らしい技に陶酔していた。私がカナダに行き、同行するときはネットで先に手に入りにくい切符を手配し、準備しておいてくれた。

当日の入場券を買うため、零下の寒空に長い列を幾重にも作って並んでいるファンを見て、改めてカナダ人のホッケー熱の凄さには感心した。これらの人々は入れても席はなく、ほとんど2時間ぐらい立ち見するので、アリーナの中はいつも満員御礼。毎回凄まじい熱気に包まれていた。

たまに同行した私は、その素晴らしいプロの技のぶつかり合いと、ド迫力、音楽や足踏みをしながら興奮を高めてゆくNHL(ナショナルホッケーリーグ。世界最高峰のプロホッケーのメジャーリーグ)の演出の見事さに、「さすがプロ!!」と眼をむいた。

こうした世界一流の音楽の祭典やプロホッケーNHLの世界は、すべて地球人が私に開いてくれた未知の世界で、すでにこの頃には何事も、「老いては子に従え!!」を実践していた私に、大きな感動を与えてくれた。こうして、地球人は大学院でも研究に、スポーツに、音楽にと、意欲的な毎日が、相変わらず続いていった。

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2 Comments:

At January 6, 2009 12:30 AM , Anonymous Anonymous said...

偉いですねえ。母は強し、そのものですね。それ程地球人を大切にするとMr.は僻みませんか?

 
At January 10, 2009 11:29 AM , Anonymous テツママ said...

匿名さん

コメントありがとうございます。
地球人は家族の中心。勿論、音楽会などは
主人も同行。又、友人や姪の家族など、
皆で応援。だから、ご心配なく。

 

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