ポスドクの地、決定
さて、博士課程も、無事修了が見えてきた地球人の、次なる目標はポスドクで、それをどこでするかという問題に、直面していた。同じ研究室出身の仲間が、ポスドクをしているボストンの大学。
指導教授のおられた、アメリカ西海岸の大学などが、当時、地球人の目標になっていた。しかし、2001年に起きた911は全米のみならず、世界を震え上がらせ、当時、私は、アメリカの東海岸は要注意の場所に思えた。
そんな頃、地球人は、指導教授の推薦で、日本の某国立大学の、研究室の教授をご紹介いただいた。地球人は真剣に私の母国、日本での研究継続開始を模索し始めた。
私は、日本での研究継続開始には、二つの理由で大いに賛成だった。勿論、第一は、すばらしい遺伝子研究の教授をご紹介いただけたこと。そして、もう一つは、地球人の日本語能力の強化と、日本文化の更なる習得の為だった。
なにしろ、今まで地球人は、幼少時代、夏休みの短期訪問以外に、腰を据えて、日本という国に住んだ事がない。勿論、当然、留学経験もない。従って、地球人の日本語は、話したり聞いたりすることには問題がなかったが、読んだり書いたりする能力は、私から見て、まだまだ足りなかった。今の若さなら、言葉の吸収も早く、日本語をほぼ完璧にする、最初で最後の、絶好のチャンスではないか?!と私には思えた。
勿論、決めるのは地球人であり、彼の一生を左右することなので、彼の意志に任せていた。地球人は熟考の結果、自分でも、日本が最適と決断した。そして着々と、日本の教授に連絡をとり、多くのサポートをいただいた。ポスドクとして研究室に受け入れていただくばかりか、日本学術振興会からの奨学金や、教授の肩書きで、ビザもいただけるよう、手配していただいた。
2003年、幸い、日本学術振興会からの奨学金も無事おり、カナダ政府の手続きなど、面倒な作業も全て終え、正式に地球人の日本での研究続行が決まったのは、春も終わりに近い頃だった。
初夏を迎える頃、地球人へのサヨナラパーティが、大学病院の研究室仲間によって、開かれた。研究仲間の何人かは、我が家にも、何度も泊りがけで遊びに来て、顔見知りだったし、指導教授にも、これまでのご指導に対し、改めて、感謝とお礼を直接述べたくて、私はケベックシティ郊外の、この大学病院に向かった。
ケベックシティはこれまでの5年間に、何度も訪れた地だったが、これからは、そう度々訪れることはないだろうと、周りの景色を車の中から、これまでとはちがった、感傷的な気分で、眺めていた。
温かい送別の夕食会が終わり、私は指導教授に、心からのお礼と、今後の変わらぬご指導をお願いし、何度か訪れた、思い出深い地を後にした。これから又、地球人は、新たな出発に向け、旅立ってゆくが、自分の祖国、日本に向かうというだけで、私には何だか安心感があり、あまり心配はなかった。
地球人のポスドクのスタートは、日本の横浜にある、某国立大学の、生命フロンティアー研究所に決まり、カナダの大学院で始めた、「遺伝子発現及び修復のメカニズムの研究」を続行することとなった。こうして地球人は、少年時代とはまったく違った、新たな目標を胸に、日本に飛び立とうとしていた。
Labels: 5。大学院時代(含、秘話)


0 Comments:
Post a Comment
Subscribe to Post Comments [Atom]
<< Home